人間とれぇえ、つーかなんでこんなにこんなに読みにくいんだか。(ストループ効果)。

前回のエントリでは「読めないはずだけど読める」文章というのを取り上げてみたわけですが、こういうちょっと不思議現象というのはいろいろあって、実は「漢字読めるけど書けない」なんていうのもその一部かもしれません。ちなみに僕は小学校一年のとき、クラスで一番漢字読めるけど、クラスで一番漢字書けないガキんちょでした。読むのは見てるだけで覚えられるけど、書くのはなんか面倒だったからです、たぶん。

さておき、今日は「文章」ではなく「色」について注目してみたいと思います。といっても素材は文字列なのですが。ためしに下の文字列の「文字の色」を読み上げてみてください。たとえばZという文字があったらと読むということです。ではどうぞ!
 
 
  
  
  
 
 
 
 はい。おつかれさまです。きっとあっという間に読み終わったと思います。
 
 
 では次は、同じように下の文字列の「色」を読み上げていってもらえますか?
 
 
  
  
  

 
 
 
 これ、なんかすっごい読みにくいでしょう?
たぶん肌感覚でわかると思うのですが、先にあった文字列にくらべて最後まで読むのにはるかに時間がかかったはずです。でもこれ、上の文字列と下の文字列で、色の順番は全く一緒です。ただ、書かれた文字が代わっているだけです。
 たとえばこれが
 


  
  
  

 
  
 
だとまあ、最初の文字列に近い感じで色を読み上げられるはずです。
これ、何が起きているかというと、二番目の文字列では「文字の意味」と「文字の色」が異なることで葛藤が生じていて、それが読み上げるという行動をするための判断を遅らせているわけです。

これって「文字の意味と色がことなることで、ひとつの対象に対する二つの認知が矛盾しているために、認知的な葛藤が生じている。」と言ってもいいし「文字の意味と色が異なることでひとつの対象から二つの矛盾したメッセージが送られてきているため、矛盾したコミュニケーションに拘束されてしまっている。」って言ってもいい。

前者のような言い方をするとそれは「認知的不協和理論」っぽい解釈というコトで、認知心理学という分野の文脈に乗った説明になるし、後者のような言い方だと「ダブルバインド(二重拘束)の理論」っぽい解釈というコトで、臨床心理学という分野の文脈に乗った解釈になるわけです。

どっちも同じコトを言ってるじゃないかって? 

たぶん、そうです。
別にどっちの解釈も間違っているわけではなくて、実際に起きている現象をぼちぼちいい感じで説明できる。いくつかの仮説やら理論が存在して、それぞれに「実際に起きている現象」を説明できるんです。
 ただ大事なことは、その仮説や理論から出発して、いろんな事実を積み重ねていくことで、その仮説やら理論が正しいのか、どうも間違ってるっぽいのか検証できることです。
 もしかしたらこの現象(ストループ現象と言います、学術的には。)も、いろいろ突っ込んで検証していくと、「どうも認知的不協和では説明できん!」というような発見や「ダブルバインドだとちょっと説明として物足りないなあ。」という側面が出てくるかもしれなくて、そういったことがわかったときに、元の理論を適切に修正したり、場合によっては一から作り直したりすることが重要なんです。その先に僕らの知識の進歩がある。だから、説明のしようがいくつかある、ということは、どちらが間違っているとかそういうことではなく、ひとまず受け入れて、そこから考えてみよう!ということです。
 心理学とか認知科学は物理学などの自然科学と違って、ひとつの数式やなにかでひととおりのことを説明できるような理論はおそらくできません。だからこそ、このようないろんな解釈の仕方が発生するし、それぞれに「なんか正しそう」という立脚点として使っていくことで、新しいところへ辿りつけるわけです。(おそらく物理とかの分野も同じようなプロセスを踏んでいるとは思うのですが。)
 

ついでに、二番目の文字列を「文字の意味」で読み上げてもらうとわかると思うのですが、大方の人にとってはさっきの「文字の色」を読み上げるという行動に比べると幾分ラクなはずです。といっても一番目の文字列を「文字の意味」で読み上げるよりは難しい(はず)。ここからは、僕らの脳の中の判断的にはどうも「意味>色」っていう序列があるんじゃなかろうかということが推測されます。
 
 「なんで、そうなのか?」「いつでも、そうなのか?」といったことをそれぞれの理論から考えてみて、検証したり検討したりしていくことが、小さい一歩とはいえ、僕らの脳がどんな風にできたんだということを知っていく上で、非常に重要なことなんですね。