wikipediaのこと

4年くらい前のある日、「卵かけご飯」に関する洞察にあふれつつも、どこかしらかわいらしい雰囲気の漂う記述を目にしたのが、確か出会いだったんだ。その記述が個人の手によるものではなく、多くの見知らぬ人々の集合知として成立していることを知るまで、ちょっと時間はかかったのだけど。ただ、その行為の集積自体がものすごく価値があり、かつ人類史的な重要性を持つことは直観的に理解できたし、素直にすごいなあと思ったんだ。
 それからしばらく、僕はwikipediaになりたかった。多くのひとの善意と知識に内臓をまさぐられグレードアップされていくような、多少エロティックで啓蒙的な妄想のトリコになっていたんだ。むさぼるように項目を読み、そしてリンクをたどって行った。ハイパーリンクの存在がこんなに新鮮な感動にあふれている感覚は、まるで20世紀の商用インターネット黎明期にもどったような喜びですらあった。

そのwikipediaが、寄付を求めているという。
http://d.hatena.ne.jp/founder/20091126/1259166085

 
 
「極端なことをいうと人類はwikipediaを生み出すために生まれてきたのかもしれないと思う」。確かにそうかもしれないね。僕の抱いたあの観念は、まさに生まれてきた意義に近いものだったのかもしれないと思うもの。僕はwikipediaになりたかった。みんなの知性でいっそう輝きをましていく、人類の叡智の結晶としてのデジタルデータに。知ることの光に。

 今のwikipediaがそこまで理想的な存在にはなっていないかもしれないとか、僕の妄想を強化してくれるほど、素敵な状態ではないかもしれないとか、そういうことはひとまず脇においておく。
 それでも僕はこれを守りたいと思うから。あのあと一人で食べた「卵かけご飯」が、すごくおいしかったことが忘れられないから。とりあえずちょっとだけ、wikipediaを金銭的にサポートしてみることにした。